ブログという“在り方”を持ったまま、生きて巡るか?
――書いていないのに、すでに書いている生き方――
ブログを書こうと思って、
パソコンを開いたわけじゃなかった。
何かを伝えようと、
テーマを決めたわけでもない。
ただ、生きていた。
感じて、動いて、休んで、また歩いていた。
その流れの中で、
ふと立ち止まったとき、
この問いが浮かんできた。
「ブログという“在り方”を持ったまま、生きて巡るか?」
書く前に、もう書いていた
以前の私は、
「書くために生きている」ような感覚がどこかにあった。
体験を集めて、
気づきを整理して、
言葉にして、発信する。
それはそれで、楽しかったし、必要な時間だった。
でも今は、少し違う。
どこかへ移動して、
働いて、
何も考えず温泉に入って、
空を見て、
身体がほどける。
その一つ一つが、
もう文章の構造を持っていることに気づいた。
書いていないのに、
もう書いている。
そんな感覚。
ブログは「場所」じゃなくなった
いつの間にか、
ブログは「情報を置く場所」ではなくなっていた。
私にとっては、
- 何を大切に見ているか
- どんな速度で世界を感じているか
- どんな波で生きているか
それ自体を、
静かに宿しておく器のようなものになった。
だから、
更新しなくても、
言葉を書かなくても、
ブログという“在り方”は、
私の中に、ちゃんと在る。
生きて、巡る
「生きて巡る」という言葉は、
少し分かりづらいかもしれない。
でもこれは、
どこかへ向かって頑張ることでも、
何者かになろうとすることでもない。
ただ、
- 生きて
- 感じて
- 巡って
- また戻る
その循環を、
止めずにいること。
書くかどうかは、そのあとでいい。
言葉は、
必要なときに、自然に滲み出てくる。
発信しなくても、発信になってしまう地点
今、私は
「ちゃんと書こう」と思うほど、書けなくなる。
でも、
「今日は何もしなくていい」と思えた日に、
一番深いところが、静かに整う。
たぶん私はもう、
発信する人ではなく、
発信になってしまう在り方に
足を踏み入れている。
それは誇らしいことでも、
特別なことでもなくて、
ただ、
少し、自由だ。
答えは、出さなくていい
この問いに、
明確な答えはない。
そして、
出さなくていい。
今はただ、
ブログという“在り方”を持ったまま、
私は今日も、生きて巡っている。
それだけで、十分だと思っている。
この感覚が、
どこかで誰かの中に、
そっと波紋を残したなら。
それで、もう書き終えている。


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