働くことから自由になろうとして、時間も、場所も、やり方も、自分で選べる生き方を、30年近く続けてきた。
それでも今、私は久しぶりに
「決まった時間に出勤し、決まった役割を担い、決まった対価を受け取る」
という働き方の中にいる。
不思議なことに、そこには窮屈さよりも、
安心感と、深い調律があった。
働くことは、お金のためだけじゃない。
この地球のリズムと、自分の波をもう一度重ね直すための、
静かな選択なのかもしれない。
──
私は今、
“波の調和”で働いている。
長いあいだ、私は自由に働いてきた。
自営業という形で、時間も場所も、自分で決めてきた。
それはとても心地よく、同時に、
ずっと自分の内側の波だけで世界を回してきた感覚でもあった。
子育ての時期は、お金を使うことに常に緊張があった。
一円、百円、その一つひとつに意識を張り巡らせながら、
「減らさないように」「足りなくならないように」と、
見えない力で自分を支え続けていた。
自由であることと、安心していることは、
必ずしも同じじゃなかった。
今、私は伊勢志摩にいる。
暮らすように旅をし、旅するように暮らしながら、リゾートホテルで働いている。
出勤時間があり、終業時間があり、
その時間の中でやることが決まっている。
そして、働いた分だけ、お金を受け取っている。
それは、私にとって久しぶりの感覚だった。
けれど驚いたのは、
その「決まっている」という枠が、
私を狭めるどころか、
どこか深いところでの安心と、自由を深めてくれたこと。
まるで、自分の波を、
一度この地球の大きなリズムに預けているような感覚。
職場には、長年ここで働いてきた人たちがいる。
その人達の働く理由は、きっとシンプルだ。
生活のため、お金のため。
でも、その当たり前の中に、
淡々と、世界と循環し続けてきた身体の知恵を感じる。
「働く」という行為は、
何かを犠牲にすることでも、
自分をすり減らすことでもなく、
この星で安心して存在し続けるための、
とても原始的で、やさしい仕組みなのかもしれない。
休みの日の私は、これまでと変わらない。
誰に管理されることもなく、
時間の使い方を、自分で選んでいる。
けれど、働く日があるからこそ、
その自由が、今はより澄んで感じられる。
自由と秩序。
個の波と、集合のリズム。
どちらかを選ぶ必要は、もうない。
働くことは、お金を稼ぐため「だけ」のものではない。
安心して巡らせ、
受け取り、
また世界へ手渡していくための行為。
私は今、
自分の波を削ることなく、
この地球と調和させながら働いている。
それは、
雇われる/雇われない
自由/不自由
そんな二項対立を越えたところで起きている、静かな選択。
“波の調和”で働くという選択は、
これからの私にとって、
生き方の楽しみの一つになっていく気がしている。
どこにいても、誰と何をしていても、私は自由。


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